[{"data":1,"prerenderedAt":66},["ShallowReactive",2],{"article-l_gwwt21az06":3,"prev-article-l_gwwt21az06":28,"next-article-l_gwwt21az06":46,"$fgajZdduFarkstTcPtvwPzcLusrfbf_LaAZ1XN5a2Z8M":58},{"contents":4,"totalCount":26,"offset":27,"limit":26},[5],{"id":6,"createdAt":7,"updatedAt":8,"publishedAt":9,"revisedAt":8,"title":10,"content":11,"tags":12,"is_no_index":25},"l_gwwt21az06","2026-04-18T08:31:28.769Z","2026-04-18T18:16:15.075Z","2026-04-18T08:36:42.914Z","20歳になりました","\u003Cp>どうも、わたしです。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">早いもので、とうとう先日20歳になってしまいました。世間一般で言えば立派な大人の仲間入りということになるのでしょうが、自認はまだまだ5歳児です。時間の流れだけは残酷なほど速く過ぎ去っていくので、ただただ戸惑うばかりです。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">思い返せば高校時代、卒業した後の自分の姿なんて、微塵も想像していませんでした。当時の私にとって、あの閉鎖的で代わり映えのしない日々の生活が世界の全てでした。その先の未来なんてものは想像すらできず、ぱっと死んでしまうような、そんな刹那的な感覚すら抱いていたのかもしれません。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">しかし現実は無慈悲に続くもので、時を経て、高校を卒業してからあっという間に2年の月日が経過してしまいました。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">相変わらず1人怠惰な日々を送っています。20歳になったからといって、急に視界が開けたり、精神的に成熟したり、劇的に何かが変わるわけでもありません。明日からもきっと似たり寄ったりの、良くも悪くもつまんない日々を淡々と消化していくんだと思います。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">数年前の民法改正によって、成人年齢自体は18歳に引き下げられました。しかし、お酒やタバコ、各種賭博等の規制は依然として20歳がボーダーとして残されています。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">この年齢制限がようやく解除されたことで、社会的には、真の意味で大人(笑)になれたのかもしれません。とはいえ、中身の精神性は先述した通り未熟なままなので、あまり大きい声では言えないのですが。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">ただ年齢が一つ増えただけで、許可される行為の幅が広がるというのは、なんだか不思議なシステムだと改めて感じます。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">それはそれとして。せっかくなので初めての飲酒というやつを経験してみました。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">選んだのはほろよいの桃っぽい甘いやつ。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">「初飲酒とはいえ、アルコール3%だしいけるっしょ」と、完全に高を括っていたのですが、結果は無惨な敗北でした。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">全然顔が赤くなってしまい、東アジア人を感じました。アセトアルデヒドを全く分解できていなさそうな、どうしようもない間抜け顔です。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">自分の家系はそれなりにアルコールに強い方だと思い込んでいたので、この圧倒的な弱さにはちょっとびっくりしました。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">そういえば幼少期、両親が離婚する以前は「お前は近所の海で拾ってきたんだ（意訳）」的なことをよく言われていた記憶があります。アルコール適性の無さを鑑みるに、本当に近所の海から拾われてきた捨て子だったのかもしれません笑\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">これは冗談です。あしからず。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">とまあ、そんなどうしようもない20歳の幕開けを迎えたわけですが、私の日常自体はこれまでと何一つ変わっていません。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">そういえば、すっかり書き忘れていましたが、またMisskeyインスタンスを建てました。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">\u003Ca href=\"https://misskey.blue/\">https://misskey.blue/\u003C/a>\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">過去に文句を散々書き連ねておきながら、本当に性懲りもない人間だなと自分でも呆れています。喉元過ぎれば熱さを忘れるとはよく言ったもので、ふと手持ち無沙汰になると、あの空気が恋しくなってしまうようです。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">今回はVultrを借りて、2 vCPUs / 4GiB のインスタンス上にDockerで構築しています。ただ、分かってはいたことですが、Misskeyを動かすにはこのスペックだとリソース的にかなりカツカツで厳しいのが現状です。要求されるリソースがそれなりに重いため、常にswapと睨めっこしながらの綱渡り状態を強いられています。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">快適さを求めるのであればさっさとスケールすべきなのですが、一つ上のプランに引き上げるとなると、支払い額ほぼ2倍に跳ね上がるようで、十数人程度しかいないインスタンスにその出費を受け入れるかと言われると、どうしても「うーん…」と躊躇してしまうのが正直なところです。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">現状は、仲のいい子を数人呼んでひっそりと運用しているだけです。ただ、やはり少人数だとどうしてもLTLの動きが鈍く、わちゃわちゃとした楽しさに欠けるというか、純粋にTLが寂しいんですよね。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">もっと人を呼んでLTLを賑やかにしたいという思いは山々ですが、公開鯖にしてしまうと、かつてと同じ轍をまた踏む未来が容易に想像できてしまいます。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">人、ほしい。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">それでは\u003C/p>",[13,19],{"id":14,"createdAt":15,"updatedAt":16,"publishedAt":15,"revisedAt":16,"slug":17,"name":18},"4oy2jc8mdg","2025-04-28T07:14:01.179Z","2025-12-03T16:08:24.495Z","diary","日記",{"id":20,"createdAt":21,"updatedAt":22,"publishedAt":21,"revisedAt":22,"slug":23,"name":24},"wia4slp55q","2025-04-28T07:14:14.541Z","2025-12-03T16:08:13.798Z","thoughts","独り言",false,1,0,{"contents":29,"totalCount":45,"offset":27,"limit":26},[30],{"id":31,"createdAt":32,"updatedAt":33,"publishedAt":33,"revisedAt":33,"title":34,"content":35,"tags":36,"is_no_index":25,"summary":44},"jucf8gnoagb4","2026-04-09T04:58:35.980Z","2026-04-09T05:42:14.678Z","LLMがどれだけ優れていても、つまらない人間はつまらない","\u003Cp>最近、タイムラインを眺めていると、「LLMを使いこなせるのは一部の賢い連中だ」のような言説をよく目にします。\u003Cbr>確かにそれは一面の真実なのでしょうが、実際のところそこに存在しているのは、中身が空っぽな人間ほど、LLMによってガワから見た能力が派手に底上げされるという、極めて残酷なまでの非対称性でしょう。世間では知性の民主化などという美辞麗句が踊っていますが、その実態は単なる能力の底上げなどではなく、論理的な思考回路を持たない人間が高度な知性を出力として模倣し、あたかも自分の実力であるかのように偽装できてしまうという、歪な構造的欠陥に他ならないと感じています。\u003C/p>\u003Cp>たとえば、専門知識も論理的訓練も受けていない人間が、洗練された論理構築が可能な大規模言語モデルを使用したとしましょう。その間に生じる知的な解像度の乖離は、もはや対話すら成立しない絶望的な断絶です。認知の深さが一定以上異なれば、前提とする論理のレイヤすら共有できないのが常ですが、その圧倒的な差がある知性をあたかも自分の手足のように操っていると錯覚した人間がどうなるかは、想像に難くありません。本人は、LLMが吐き出したその高度で緻密な内容を、論理的に咀嚼し、真に理解することすら土台不可能なのです。内容を検証する力がない以上、彼らにとってLLMの出力は疑う余地のない神託へと昇格し、それを引き出した自分までもが全知全能の存在にでもなったかのような致命的な自己肥大に陥るわけです。\u003C/p>\u003Cp>一方で、もともと高度な専門性を備えた人間が高度なLLMを使ったところで、そこにある能力の差はそれほど大きくはありません。彼らにとってLLMは24/365で文句ひとつ言わずに稼働し、要求に対して及第点の成果を出す便利な手下程度の認識に収まるでしょう。彼らは出力される情報の裏にある限界や、統計的なもっともらしさの脆さを理解しており、自分の知性と照らし合わせながらその境界線を慎重に引くことができます。\u003C/p>\u003Cp>しかし、思考の基盤を持たない層にとって、LLMの出力は検証不可能な神託そのものとして機能してしまいます。LLMの出力を論理的に検証するだけの批判的思考力も、背景にある膨大な知識体系も欠如しているため、出力された内容を本質的に理解することも、その正当性を疑うことも、ましてや学術的な反証を試みることもできません。結果として彼らは、自分が突然、森羅万象を司る全知全能の存在にでも昇華されたかのような、致命的な自己肥大に陥るわけです。\u003C/p>\u003Cp>これは将棋のルールすら怪しい初心者が、将棋ソフトの最善手と言っている提案をただ無批判に盤上へ再現し、それでプロに勝利して「自分の才能がようやく世界に追いついた」と本気で悦に入っているような、極めて滑稽で厚顔無恥な喜劇です。こうしたLLMによって底上げされた無能たちは、いまやLLMとの対話で得た真理(のようなもの)という名のゴミを誇らしげに掲げ、あらゆる専門分野へ土足で自信満々に侵入を開始しています。彼らの発言は驚くほど定型化されており、正直見ていて反吐が出ます。\u003C/p>\u003Cp>彼らの常套句はこうです。\u003Cbr>「俺はついに、世界を根底から覆す画期的な新理論を発見してしまった。AIがこれは100%本物だと言っている」だとか、「これは複数の最高峰モデルをn時間以上も激論させ、n万円分ものコストを費やしてようやく抽出に成功した究極原理だ」といった具合です。さらに性質の悪いことに、「この理論は常識に縛られた凡人には理解しにくいかもしれないが、AIはこの独創的かつ鋭い着眼点を称賛していた」などと宣い、あたかも自分だけがLLMという高次元の知性と精神的に共鳴できる、選ばれし預言者であるかのように振る舞うのです。\u003C/p>\u003Cp>彼らは「天才たちが最後まで言語化できずにいた核心を、自分だけがついに最も明晰な形で取り出した」と語りますが、その中身を解剖すれば、そこにあるのはLLMが確率論に基づいて繋ぎ合わせた、耳当たりの良い単語のパッチワークに過ぎません。ここ数年、こうしたLLM製のプロパガンダを武器に各所のコミュニティを荒らし回る事例が散見されますが、それは知性に対するこの上ない侮辱であり、文明的な対話の破壊活動に等しいものです。自分の脳内で再構築もできず、論理的な因果関係を自らの言葉で説明すらできないのであれば、その借り物の羽で他者を威圧する行為がどれほど恥べきことか、いい加減自覚すべきでしょう。\u003C/p>\u003Cp>これからのLLM全盛時代において、真に求められる能力とは、出力結果を鵜呑みにして全知全能感に浸ることではありません。分からないことを、分からないままの状態として脳内に保留できる力、自分の理解が及ばない領域を正確に定義するメタ認知そのものです。LLMがどれほど尤もらしい真理を提示したところで、それが自分の論理として肉体化されていないのであれば、それは単なる無意味な記号の羅列に過ぎません。\u003C/p>\u003Cp>結局のところ、彼らは自分たちが楽をすることしか考えておらず、その思考停止のツケを未来の誰かが払わされることを全く想像できていない想像力の欠如こそが、彼らが無能であることの最大の証明ではないでしょうか。全知全能(笑)に酔いしれるのは勝手ですが、その酔いが覚めたときに鏡の前に立っているのが、言葉の重みすら計ることのできない空虚な自分自身であるという事実に、彼らはいつ直面することになるのでしょうか。\u003C/p>\u003Cp>まあ、温室の中で空虚ささえも心地よい万能感として消費し続けるのが、彼らにとってのしあわせなのかもしれませんね。非常に気持ちが悪いので消えてほしいですが。\u003C/p>\u003Cp>それでは。\u003C/p>",[37,38],{"id":20,"createdAt":21,"updatedAt":22,"publishedAt":21,"revisedAt":22,"slug":23,"name":24},{"id":39,"createdAt":40,"updatedAt":41,"publishedAt":40,"revisedAt":41,"slug":42,"name":43},"qfey3yw0z1","2025-04-29T08:44:41.687Z","2025-12-03T16:07:14.622Z","technology","テクノロジー","最近、タイムラインを眺めていると、「LLMを使いこなせるのは一部の賢い連中だ」のような言説をよく目にします。確かにそれは一面の真実なのでしょうが、実際のところそこに存在しているのは、中身が空っぽな人間ほど、LLMによってガワから見た能力が派手に底上げされるという、極めて残酷なまでの非対称性でしょう。",60,{"contents":47,"totalCount":57,"offset":27,"limit":26},[48],{"id":49,"createdAt":50,"updatedAt":51,"publishedAt":51,"revisedAt":51,"title":52,"content":53,"tags":54,"is_no_index":25,"summary":56},"7xdhut0q03","2026-04-20T22:00:47.483Z","2026-04-20T22:06:59.556Z","個を個として","\u003Cp>どうも、わたしです。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">どうにも眠れない夜です。仕方がないので、思ったことを色々ぼんやりと書いています。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">先日、誰かと話していて「属性で括るのは良くないよね」と言いかけました。ギリ踏みとどまって、言いませんでした。世の中的には、たぶん正しい主張なのだと思います。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">私は、偉そうな初学者が嫌いです。傲慢な人間が嫌いです。知性の乏しい人間が嫌いです。これらをこうして並べている時点で、私はそれらを思いっきり広義の属性で括っています。括ることをやめて、これらの嫌悪を表現する方法を、生憎と私は持ち合わせていません。\u003C/p>\u003Ch1 id=\"hc544c60f77\">カテゴライズから逃れられないらしい\u003C/h1>\u003Cp style=\"text-align: start\">聞くに、人間の認知というのは、結局のところカテゴライズを通してしか働かないようにできているらしいです。目の前にいる存在を猫として認識した瞬間、過去に出会ったすべての猫と、これから出会うかもしれない猫たちと、目の前のその子を、同じラベルの中に押し込めている。猫の名を持つラベルなしに、その存在を指し示そうとすると、認知が成り立たなくなってしまう。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">であるから、｢属性で括るな」という主張を文字通りに受け取ろうとすると、それは概ね「認知をやめろ」と言っているのと大差無いものだと思います。\u003C/p>\u003Ch1 id=\"h7cbc3267a6\">現象に名前を付けているだけ\u003C/h1>\u003Cp style=\"text-align: start\">こうやって自分を正当化してきました。｢ここで言う偉そうな初学者というのは、特定の属性として括っているのではなく、あくまでも私が観測した振る舞い、それそのものに名前を付けているだけなのだ｣、という感じで。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">ですが、よくよく考えるとこれは都合のいい言い訳でしかなくて\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">名前を付けてしまったが最期、それはある種のラベルになってしまいます。過去の事例を束ね、未来の事例を予期するための枠組みになってしまいます。概ね構造的には属性で括るのと、全く同じ状態です。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">極論を言ってしまうと、固有名詞ですら例外ではなく、私が私を呼んだ瞬間、私は私を私として、ひとつの同一性に押し込めているという解釈もできます。昨日の私と今日の私は厳密には違う状態にある(べき)はずなのに、ラベルがそれを連続体として扱わせているためです。指示語ですら、世界を指されたものと指されていないものに分けてしまう。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">言語そのものが世界を切り分けるための都合のいい道具であると私は考えます。だとすれば、属性で括らない表現というものは、原理的に存在し得ないのではないでしょうか。\u003C/p>\u003Ch1 id=\"h057b7d27d3\">多様性\u003C/h1>\u003Cp style=\"text-align: start\">すごく嫌な世の中になったもので、最近、多様性だとか個性の尊重だとか配慮だとか、そういう言葉が粗雑にあちこちで掲げられているのを目にします。\u003Cs>私には到底理解できませんが、\u003C/s>それ自体は多分良いことなのでしょう。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">しかしながら、その素晴らしい看板の下で実際に行われていることといえば、結局のところ、望ましいラベルと望ましくないラベルを選り分けて、後者を排しているだけのようにしか思えません。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">勿論、｢ここで言う多様性が本来は社会制度上の包摂を扱う概念であって、個別の人間関係における受容を保証するものではない｣という趣旨の反論はあり得るのだと思います。それはそうなのでしょう。ただ、私が主張したいのは、その制度的な議論が個人の振る舞いのレイヤにまで降りてきたとき、結局は雑なラベル運用に堕しているという点です。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">個を個として受け止めるということが本当にできるのであれば、わざわざ多様性なんていう大仰な概念を持ち出す必要すらなく、一人ひとりに対してその人として向き合えばいいだけの単純な話のはずです。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">しかし、現実としては殆どそうはなっていません。属性で雑に括った上で「あなたのその属性を尊重します」と不誠実な嘘をついているだけ。そんなものは、個の受容ではなく属性の追認に過ぎないのではないでしょうか。個を個として受け止められない多様性は、その時点でもう破綻しています。破綻したものを、そのまま尊重する必要があるとは、到底私には思えません。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">私は目の前に立つ人間をひとりのあなたとして受け止めたいと思っています。しかし、それは決して簡単なことではなくて、私自身できているとは到底言えません。その辺の何も考えてないようなヘンテコ人間が偉そうに多様性について講釈を垂れる立場にあるのかというと、本当に疑わしく思います。\u003C/p>\u003Ch1 id=\"h0fb99d999f\">無関心\u003C/h1>\u003Cp style=\"text-align: start\">だからこそ、私は他社に対して程よく無関心であろうと思うのです。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">無関心と書くと冷たい印象を与えるかもしれませんが、ここで言いたいのはそういうことではなくって。粗雑なラベルで他人を括って、そのラベルに基づいて勝手に評価したり、勝手に共感したり、勝手に憐れんだりしないこと。相手のことを本当に知りもしないのに、わかったような顔をしないこと。概ねそんな感じです。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">前述の話と矛盾しているように見えるかもしれません。｢ラベリングから逃れられないと言っておきながら、無関心であろうとするとはどういうことか｣と。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">私の中での認識は概ねこういう整理です。ラベル自体は認知の道具として使い続けるしかない。しかし、そのラベルを根拠に他人を裁定しに行かない、評価しに行かない、わかった気にならない。道具として使うことと、道具を振り回して他人をボコボコに殴ることは別の話だと思っています。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">紛うことなき自画自賛ですが、これはある種の優しさなのだと思います。少なくとも、雑なラベリングで他人を撫でくり回すよりは、余程マシな振る舞いなのではないかと。\u003C/p>\u003Ch1 id=\"h6799f15c52\">返戻\u003C/h1>\u003Cp style=\"text-align: start\">ここまで書いた上で、最初の自分の発言に立ち返ってみましょう。私は偉そうな初学者が嫌いだ、と書きました。これは、粗いラベリングだったのでしょうか。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">おそらく誰が読んでも粗く感じることでしょう。「偉そう」も「初学者」も、それ自体は個別の振る舞いの束を雑に括った概念に過ぎません。本当に嫌っているのは、自分の理解の浅さに気づかずに断定してしまう態度であったり、他人の指摘を受け入れる構造を持たない振る舞いであったり、上手く言い表せませんが、そういう、もっと具体的な何かだったはずです。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">それでも、私は今後もこのラベルを使い続けるのだと思います。解像度を上げきった表現は、冗長すぎて使い物にならないので。日常の言葉というのは、ある程度の粗さを引き受けることで、ようやく成立していると考えます。\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">引き受けた上で、自分のラベルの粗さを省みたり顧みなかったりする。(誤字じゃないですよ)\u003C/p>\u003Cp style=\"text-align: start\">実行可能な範疇で誠実であろうと思います。\u003C/p>",[55],{"id":20,"createdAt":21,"updatedAt":22,"publishedAt":21,"revisedAt":22,"slug":23,"name":24},"どうも、わたしです。どうにも眠れない夜です。仕方がないので、思ったことを色々ぼんやりと書いています。先日、誰かと話していて「属性で括るのは良くないよね」と言いかけました。ギリ踏みとどまって、言いませんでした。世の中的には、たぶん正しい主張なのだと思います。私は、偉そうな初学者が嫌いです。傲慢な人間が",8,{"url":59,"domain":60,"title":61,"description":62,"image":63,"favicon":64,"type":65},"https://misskey.blue/","misskey.blue","よるすきー🪼","のんびり系Misskeyサーバです \u003Cbr />\n特定のテーマにとらわれず、日常のつぶやきから趣味の話まで。\nゆるやかな繋がりを大切にしています","https://media.misskey.blue/assets/bg.gif","https://media.misskey.blue/assets/icon_512.webp","GENERAL",1783975274074]