まいの雑記帳

Misskeyインスタンスの持続可能性

投稿した日
2025/12/24
読了まで
7.51分で読み終われます (4,504文字)

# はじめに

この記事はMisskey Advent Calendar 2025🔗、24日目の記事です。

私のテーマはMisskeyインスタンスの持続可能性。

このテーマを選んだきっかけは、先日流れてきたある中規模Misskeyインスタンスの閉鎖告知でした。サーバー運営の話になると、決まってサーバー代という金銭的コストが注目されます。もちろん学生の身には痛い出費ですし、それが理由で閉じるケースも往々にしてあるでしょう。

ただ、ある程度の収入がある人であれば、月数万円程度の維持費は趣味として許容できるように思えます。それなのに、なぜ多くのサーバーが終わりを選ぶのか。

根本的な原因は、金銭ではなく、コミュニティを維持運営することそれそのものにあるのではないかと、個人的には感じています。

# 歴史は繰り返す

少し昔話をしましょう。

2016年頃に、Mastodonという黒船が到来しました。
ビッグテックに依存しない、セルフホスト可能なSNSという触れ込みに、当時は色めき立ったのを覚えています。誰でもインスタンスを建てられ、それらが緩やかに繋がるFediverseの世界。そこには確かに、自由なユートピアの幻影が見えていました。

実はわたしもその熱狂に当てられた一人でした。当時、Twitterで見かけたさくらのナレッジの記事🔗に感化され、ターミナルと格闘しながらサーバーを建てた記憶があります。

とはいえ、その熱狂が永遠に続いたかというと、そういうわけでもありませんでした。自由にサーバーを建てられるといっても、多くのユーザーは結局人が多く、安定している場所を選びました。jpやPawooといった巨大サーバーに数十万人が雪崩れ込む一方で、個人が意気揚々と建てた小規模サーバーは、過疎とインフラ維持の現実に晒されました。
結局、維持費や管理の手間に見合わなくなった小規模サーバーは次々と閉鎖し、行き場を失ったユーザーは巨大サーバーへ流れるか、あるいは「やっぱTwitterでいいや」と古巣へ帰ってしまいました。運営元の譲渡やサービス終了のニュースが流れるたび、分散型の夢は少しずつ色あせていきました。残念。

そして現在、Misskeyでも全く同じ歴史が繰り返されています。
Twitterで話題になるMisskeyは、実態としてMisskey.ioと同義として語られることがほとんどです。独自の絵文字やリアクション機能を楽しむための場所として機能しており、分散型ネットワークというよりは、特定サーバーへの一極集中に近い状態となっています。ActivityPubに対応しようと、UIがリッチになろうと、人間の群れたがる性質が変わらない限り、歴史は何度でも繰り返すようです。

# ユーザーは理念を気にしない

界隈ではよく、「邪悪な巨大資本 vs 民主的な分散型SNS」といった構図が語られますが、実際のところはどうでしょうか。

Twitterが得体の知れないアルファベットになり果てても、閑古鳥が鳴く事はなく、なんだかんだ言いつつも結局はみんなそこに居座っています。Misskeyに来た人たち限定しても、その大半はMisskey.ioという巨大な中央集権サーバーに群がっているのが現実です。

界隈では「チャンネル機能が閉鎖的だ」とか、開発者本人の「分散化はおまけ」発言に複雑な思いを抱いたとか、io一強状態に対する議論は尽きません。しかし、これをユーザーの怠慢だとか、特定の運営の責任にするのは建設的ではありません。そもそも、ユーザーにとって重要なのは分散型であることよりも、そこで何を体験できるか であるからです。

Misskeyは良くも悪くもインスタンスによって使用できる絵文字や機能が異なります。つまり、インスタンスごとにユーザーが体験できるものが均質ではありません。話題のリアクションを使いたければ、それがあるインスタンスに行く必要があります。人が多く、反応が早くて、話題の絵文字がある場所に集まる。それは怠惰ではなく、極めて合理的な選択と言えるでしょう。

そして、このユーザーは理念だけでは動かないという現実を象徴するニュースが、つい先日ありました。Meta社のThreadsが、AP対応をメンテナンスモードに移行させたという話です。事実上の開発縮小、あるいは一旦距離を置くと言って差し支えないでしょう。

あれだけ「分散型を信じている」などとザッカーバーグが豪語し、界隈の人たちも盛り上がっていたようですが、蓋を開けてみれば、連合機能を積極的に使っていたユーザーはごく一部に限られていた、と言われています。多くの人にとっては、分散していること自体よりも、使い勝手や周囲の友人がいるかどうかといった要素の方が、はるかに優先度が高かった、ということなのだと思います。所謂UGCの宿命ってやつですね。

「Fediverseは圧倒的に利用者が少ない」と外から指摘されたとき、今のわたしなら「まあ、そらそうだよね」と答えると思います。
かつては私自身も、Fediverseが中央集権的な従来のSNSを淘汰するような未来を妄想していた時期がありましたし、ここがもっと多くの人で賑わう未来を信じていました。今では、少なくとも、当面は爆発的に増えることはなさそうだと、少し現実寄りの見方をするようになりました。

ただ、それが必ずしも悪いことだとは思いません。
というのも、今ここに居る住民たちも、どこかで適度な規模感を好んでいるように見えるからです。新規ユーザーが増えれば嬉しい一方で、内輪ノリや独特の空気感も保ちたい。結果として、ある種の村社会的な雰囲気が生まれやすいのは、人の集まりとして自然な姿でもあります。

# コミュニティ運営の負荷

一極集中の是非はさておき、じゃあ小規模サーバーなら安定して運営できるかというと、それも一筋縄ではいきません。

似たような経験が多くの人にあるのではないしょうか。意気揚々とDiscordサーバーを建てて、最初は身内だけで盛り上がるものの、人が増えるにつれて古参と新参の対立が起き、内輪ノリが疎まれ、空気が淀んでいくあの感じ。

これは、中小規模のインスタンスでもほとんど同じことが起こり得ます。最初は新しい村を作る高揚感で回るのですが、時間が経つにつれ、方針のすり合わせやユーザー間のトラブル対応など、運営として向き合うべき課題がじわじわ増えてきます。

重要なのは、これらが運営者の手腕の良し悪しだけで決まるわけではない、という点です。人が集まれば、そこには自然と摩擦が生まれます。ある程度以上の規模になったコミュニティがちょっと疲れる場所になりやすいのは、ある意味で避けがたい側面でもあります。

そして厄介なことに、管理コストはユーザー数に対して非線形に増加する傾向があります。
ある日突然ユーザーが急増すれば、通報対応やモデレーション業務で膨大な時間を割くことになります。法務部門もカスタマーサポートも持たない個人が、仕事や学業の片手間で不特定多数のユーザーを管理し続けるのは、リソース的に破綻しやすいことは自明でしょう。

私自身、中規模といって差し支えない規模のインスタンスを運営していますが、熱意だけで永遠に走り続けるのは現実的には難しいだろうなという感覚を日々覚えています。ユーザーは必ずしも理想通りには動きませんし、運営側もずっと同じテンションでいられるわけではありません。私がそうであるように、そもそも人々は思ったより理知的な振る舞いをしませんし、他人を慮る余裕もありません。

# 永遠を求めない

ここから導き出せる教訓は、個人がコミュニティを維持するのは構造的に困難であるということ、個人運営のサーバーに企業のインフラと同じ永続性を求めるのは間違いであるということです。

私たちはつい、慣れ親しんだ居場所が永遠に続くことを願ってしまいます。少なくとも私はそうです。

そこそこの規模になったサーバーを抱えていると、ユーザーがいる手前「閉じてはいけない」「明日も動かし続けなければならない」という奇妙な責任感に縛られていきます。最初は純粋な遊び場として、自分の楽しみのために始めたはずでした。それなのに、いつの間にかインフラとしての信頼性を勝手に背負い込み、楽しさよりも義務感でサーバーを維持してしまう。これは、私の偽らざる本音であり自戒でもあります。

その結果が、燃え尽きによる突発的な閉鎖や、悲痛な終了告知につながるのだとしたら、あまりに皮肉な話です。

そもそも、個人がポケットマネーと余暇で維持している場所に、恒久的なインフラとしての役割を期待するのが土台無理な話なのです。管理者が飽きたり疲れたりすれば、その場所は終わります。

Misskeyインスタンスの持続可能性というテーマに対する私の答えは、サーバーを死なせないことではなく、サーバーはいつか死ぬものであると許容することです。場所がなくなれば、また別の場所へ移ればいい。あるいは新しく焚き火を起こしてもいい。一つの場所にしがみつくのではなく、次へと渡り歩いていける流動性こそが、Fediverseというシステムの本来の強みであり、持続可能性の正体ではないでしょうか。

# おわりに

とはいえ、全員が遊牧民になってしまえば、そもそも移動先がなくなってしまいます。Fediverseが成立するためには、誰かがどこかしらでサーバーを維持し続けなければなりません。

私自身、文句を言いながらもサーバーを畳まずにいるのは、別に崇高な使命感があるわけではなく、単純に技術的な興味や、自分の場を持つ面白さがまだ勝っているからです。要するに、ただの趣味です。

だからこそ、運営者もユーザーも、「これは公共インフラではなく、個人の趣味の延長線上にあるものだ」という前提にもっと自覚的であるべきでしょう。運営者は義務ではなく趣味の範囲でサーバーを動かせばいいし、ユーザーも場所借りくらいの感覚でいればいい。

もちろん、これは無責任でいいだとか技術力がなくてもいいという意味ではありません。かつての記事🔗でも書きましたが、碌に意味も理解せずコピペで建て、トラブルが起きたら放り出すような運用は、趣味以前の傲慢です。まともに運用できない人間が安易に手を出すべきではない、という前提は今でも変わりません。

そうではなく、技術的な裏付けを持ち、自分で責任を負える人間が、過度な義務感に縛られずにもっと気楽にやるべきだ、という話です。運営者は公共インフラの維持という義務ではなく、あくまで趣味の範囲でサーバーを動かせばいいし、ユーザーも場所借りくらいの感覚でいればいい。

明日なくなるかもしれないし、10年続くかもしれない。そのくらいの適当な距離感で付き合っていくのが、精神衛生上もっとも持続可能なあり方なのだと思います。

まぁ、もしここが焼け野原になったとしても、また別のどこかでお会いしましょう。 Fediverseは無駄に広いですから、避難先には困らないはずです。それでは。

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