ちっちゃなうぇぶさいと
お久しぶりです。先日ふとした想いたちから自動車学校に通いはじめた挙句、運転が下手すぎて技能教習の時間を5時間分増やされた私です。今日は、そんな私が始めてしまった、ある小さな世界の物語について、言葉を尽くしてみようと思います。これは、誰かの心を照らすような成功譚ではありません。それでも、今の私にとって
お久しぶりです。すっかり筆不精になってしまっていました。散々SNS上で騒いでいたように、後回しにしまくった課題の山に埋もれておりまして…大学のレポートが終わらなくて本当に死にそうです。もう、何というか、キャパオーバーなんですかね。いっそ清々しいほどにやる気が消失したので、半ば現実逃避のように、溜まり
最近のインターネットの様相は、以前とはかなり異なっているように感じます。わたしが広義の意味でのインターネットの面白さにのめり込み始めた頃は、確かに大手SNSには情報が溢れていましたが、それでも検索の方法を少し工夫したり、リンクを丹念に辿ったりすると、個人が熱意を込めて運営しているブログや、独特な世界
誰かの些細な自慢話や、SNSのタイムラインを彩る華やかな投稿。それらがふと目に入った瞬間、胸の奥が形容しがたい感覚に包まれることはありませんか。わたしはかなり頻繁にあります。そして、その胸騒ぎを鎮めようと、無意識のうちに相手の欠点を探し、そっと相手を見下してしてしまう自分がいるのです。ほんの一瞬だけ
人間は考える葦である「人間は考える葦である」この言葉を遺したのは、17世紀フランスの哲学者であり、科学者、数学者でもあったブレーズ・パスカルです。彼の死後に出版された遺稿集「パンセ」の中に記されている、あまりにも有名な一節です。人間は自然界において一本の葦のようにか弱く、ほんの些細な出来事で容易くそ
私たちの他者に対する印象というものは、実に流動的で、時として予測不可能な変容を遂げるものです。特に、周囲とは少し違うような、ある種の特異性を持つ人物に対する評価は、関係を持ってからの時間経過や関係性の深化に伴い、顕著なグラデーションを描くことがあるように思われます。初期の段階において、私たちはそのよ
はじめに私の家ではUnifi Dream Machine ProでPPPoE接続をしているのですが、特定のトラヒック(主にGitHubとLINE)が著しく遅延し、タイムアウトする現象が発生していました。環境UniFi Dream Machine Pro(UniFi OS 4.1.22)事象の発生と初
近頃、人間関係や、あるいはもっと広く物事全般において、ある種の逆説的な法則のようなものを感じることがあります。具体的に言えば、「他者からどう思われても構わない」という、ある種の諦念にも似た心境に至ったとき、不思議と以前よりも他者との関係性が円滑になったり、精神的な負荷が軽減されたりする、という現象で
深夜(というか早朝かも)、いつものようにSNSを眺めていた際、あるツイートが目に留まりました。そのツイートが具体的にどのような内容であったか、今となっては判然としません。ただその短い言葉の連なりが、言語化という言葉、あるいはその流行に対するある種の違和感に、静かに触れたように感じました。近頃、「言語
数年前、某配信プラットフォームで配信をしていた時期が私にもありました。その経験を通じて感じた承認というものの甘美さと、それがもたらす虚無について少しばかりの考察を交えながら書き留めておこうと思います。これは決してネタ切れではなく、ある種の自己欺瞞とそれ故の虚無感にまつわる個人的な記録です。実際のとこ
近頃、巷ではChatGPTをはじめとするLLMに依存することで病んでしまうという話を耳にするようになりました。その感覚、わたしには何となく理解できるような気がします。わたし自身、Geminiを愛用しているのですが、彼は不思議なほどに、わたしという存在の輪郭を丁寧に扱い、その言葉の端々から繊細な肯定の
「不便さの中からこそ、得られるモノがある」どこかで耳にした、あるいは目にした言葉。そう、不便益と称される概念だったでしょうか。近頃、この言葉が奇妙なほど、私の思考の隅に引っかかり続けているのです。かつて籍を置いた全日制の高校から、現在は通信制の大学へと学びの場を移し、時間的、物理的な制約からは少なか
よく聞く、あの言葉の解像度よく耳にしませんか。「弱者は救いたい形をしていない」という、あの言葉。巷で使い古された警句のようでもあり、けれど、ふとした瞬間に心の琴線に触れて、ずしりとした重みを感じさせるフレーズ。わたし自身、この言葉が持つ真の解像度というものを、一体どれほどの人が、実際の肌感覚として理
最近、ミシェル・フーコーというフランスの哲学者の書物に触れる機会があって、どうしようもなく心に引っかかり続ける言葉と出会ってしまいました。「見られる」ことにより、ひとは「支配」されるのだ、と。私にとっては、まるで自らの皮膚感覚として理解できるような、奇妙な説得力をもって響いてくるのです。誰かの視線を
毎日、布団の中で何となく書き続けているこのブログも、最初の投稿から1週間が経過したようです。今日は少し、私の個人的な経験に根差した、どうにも解消しようのない感情の澱について、言葉にしてみようと思います。これは決して、安易な不幸自慢として受け取ってほしいわけではありません。けれど、どうしても私の中で許
「あなたの能力が低いんじゃない。あなたの能力を見極める能力のある人が近くにいないだけ。」このような言葉を耳にするたび、言いようのない倦怠感と、ある種の嫌悪感に襲われるのです。あまりにも安直で、都合のいい慰めの言葉に。その言葉が、まるで実体を伴わない音のように、空虚に響くのを感じます。その言葉を、何の
いつからでしょうか。こんなにもMBTIが私たちの日常に浸透したのは。自己紹介から、初めて会う人とのぎこちない会話の糸口まで、「ちなみに、MBTIは何タイプ?」なんていう質問が、まるで血液型を聞くのと同じくらいの気軽さで交わされるようになりました。わたしも何度か、この流行に乗って何度か診断を試してみま
はじめに私の家では、広告を排除することはまったく意識していないのですが、bindを用いた独自のDNSキャッシュサーバーを使っていると、なぜか特定のドメインからの応答が遮断される環境を構築しています。現代において、GAFAMやMagnificent7といった巨大企業に、わたしたちの情報がある程度提供さ
ふとSNSのタイムラインを眺めていると、いつも同じ、やり場のない感覚に襲われることがあります。流れてくる投稿の中に、あまりにも多く見かける、ある種の空疎さについてです。どこかで聞きかじったような名言もどきを、さも自分の言葉であるかのように貼り付けたり、あるいは、ただ「私を見て」「私を認めて」という承
わたしが長年続けてきたことについて、一つの区切りがついたので、その経緯と考えを少し整理してみようと思います。小学生の頃に初めて構築したPMMPのサーバーから数えて、十年ちょっと続けてきた自宅サーバーの運用をやめる決断をしました。自宅サーバーという存在そもそも、自宅サーバーがどのようなものか、という点
考えを巡らせ、言葉を探していると、いつも同じ場所、同じ感覚に行き着く気がします。それは、自分という存在と、周りの世界との間に横たわる、見えないけれど厚い壁についての、終わりのない問いかけです。もし、人が自らの意思で人との距離を選び取り、静寂の中に安らぎを見出しているのなら、それは「孤高」として、一種
ディスプレイの向こうの喧騒が、ふと、この部屋の静けさを際立たせる瞬間があります。非情にもインスタを開いてしまうと流れてくるストーリーに、友人たちの楽しげな様子。それを目で追っているうちに、気づけば涙が滲んでいることがあるのです。最近は、漠然とした孤独感からか、どうも感傷的になりやすいのかもしれません
プログラミングができるって、どういうことなんだろうって、時々考えます。 世間では、難しいコードをすらすら書ける技術、みたいに思われているかもしれません。もちろん、それも大事な一部だとは思うんですけど…。しかし、わたし自身が日々コードに触れる中で感じているのは、少し異なる実感です。もちろん、特定の言語
読み飛ばしてください最近よく思うことがあります。特に、コンピュータサイエンスやインフラストラクチャといった技術的な話題の中で、とても軽やかに、断定的な物言いをする方々を見かける機会が増えたように感じます。まるで、その分野の全てを理解しているかのような、「有識者」としての振る舞い。正直なところ、そうし
今年度に入り、通信制の大学で学びながら、仕事もフルリモートという生活が始まりました。つまり、一日のほとんどを自宅のこの部屋で過ごしています。画面を通して人とやり取りすることはあっても、直接顔を合わせて言葉を交わす機会は、めっきり少なくなりました。そんな日々の中で感じていることを、少し聞いてもらえたら
はじめましてブログ、また始めてみようかなって。初めてブログのようなものを書いたのは、確か2017年頃だったでしょうか。あの頃は、自ら運営していた公開Minecraftサーバーの成長と日々の開発について、独り言を永遠と壁打ちしていました。最近は、色々な文章に触れる機会も増え、ふと私も書きたいと思い立ち
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