まいの雑記帳

つまらないのは

投稿した日
2026/06/23
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最近よく思うのですが、世の中のほとんどのことは、数値に落とし込むことも、白か黒かで割り切ることもできません。かけた労力と結果がきれいに比例するわけでもなく、こちらが何もしていなくても、時間が経つというだけで、多くのものは静かに劣化していきます。努力が分かりやすく報われることもありませんし、わたしという存在に、特別な意味が割り当てられているわけでもありません。これは別に悲観でもなんでもなく、ただそういうものなのだろう、という話です。

そういう前提に立つと、人がどう生きているのかも、なんとなく見えてきます。みんな、分かりたいものだけを分かろうとして、分かる気の起きないものは、初めから理解の対象から外しています。世界が不平等で歪んでいても、主観と決めつけのまま、手近なところにある快楽を拾って生きていく。嫌いな相手は一生嫌い続けるし、大事にしたいものだけを大事にする。わたしは、これ自体を否定するつもりはありません。むしろ、いっそ正直で良いとすら思っています。何より、わたし自身がそうであるからです。

大多数の人間は、何をしたところで何者かになることなどありません。にもかかわらず、SNSという与えられた餌で勘違いをして、自分にも言いたいことがある、という顔で自己主張を始めてしまう。あれはどうにも不健全だなと、眺めるたびに思います。

素人だろうと、専門家だろうと、当事者だろうと、一個人の意見や主張なんて、世の中の側からすればどうでもいいことです。何かを思うのは構いません。ただ、本当は誰にも言わない方がいいのだろうと、思うようになりました。

とりわけそう感じるのが、生き方とか、正しさとか、社会はこうあるべきだとか、その類の話です。この手の話題は、語り始めるためのハードルが異様に低い。元手も予習もいらず、誰でも今日から語り部になれてしまう。しかし、本来は、突き詰めて学んだ人ほど軽々しくは口を開けなくなるはずのものだと思います。知れば知るほど、これは自分が断言していいことなのか慎重になる。だとすれば、いつまでも淀みなく喋っていられること自体が、どこか怪しい。中身の薄さを、言葉の量で覆い隠しているだけではないか。楽な方へ逃げているだけで、実態が伴っていないのではないか。

そういうのは結局、逃げであって、何も実りません。だからもっと、目の前で起こっている事象そのものについて話したいのです。誰が言ったかでも、どう感じたかでもなく、いま現に起きている事柄について。その方がずっと健全だと分かっています。

と、ここまで書いて気づくのですが。

近年のインターネットはつまらない、と、わたしは日々のように吐き捨てています。けれど結局のところ、つまらないのは、わたし自身の方なのかもしれません。中身がないのを人のせいにして、こうして長々と書き連ねて、それで少しだけ満たされた気になっている。たぶん、そういうことなのでしょう。