まいの雑記帳

Twitterやめますか?, 人間やめますか?

投稿した日
2026/01/12
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Twitterからあの愛らしい青い鳥が姿を消し、得体の知れないアルファベットに成り果ててから、かれこれ3年の月日が経とうとしています。

イーロン・マスクがTwitterを買収した直後の狂騒は、今となってはある種のエンターテインメントとして消費できていた時期だったのかもしれません。大量のレイオフ、Twitter Blueの強行導入、フリート。破壊の限りを尽くすその姿には、どこか破壊神的なカリスマ性すら感じられました。彼が声高に叫ぶスーパーアプリ構想(笑)とやらが、私たちの生活どう変えてくれるのか、怖いもの見たさがあったのも事実です。結局のところ、彼が作りたかったのは金融機能がついた万能なSNSではなく、単なる自身の承認欲求を満たすための巨大な拡声器だったようですが。

本題に入る前に、ひとつだけ定義をしておかなければなりません。私は普段、この場所を頑なにTwitterと呼んでいます。

未練がましいと言われようが、私の青春とインターネットの文脈が詰まったあの場所を、ヘンテコなアルファベットで上書きされたくはありません。私の中でのTwitterは、どうでもいい日常と、顔も知らない友人たちとの緩やかな連帯の象徴でした。その記憶を、現在の惨状と混ぜ合わせたくはありません。

しかし、本エントリにおいて、あのシステムと運営方針、そしてその背後に透けて見える思想を批判する文脈に限っては、あえてXと呼称します。私が愛したTwitterと、現在進行系でインターネット焼き畑農業をしているこの集金装置は、似て非なる全く別の物だからです。Twitterという名前を汚さないためにも、この悪意の塊にはXとかいうダサい名前がお似合いでしょう。

さて、そんなXの惨状に嫌気がさし、数年前の私はMisskeyへ安住の地を求めました。ioにアカウントを作り、自前でインスタンスを構築し、燃え尽きて知人のサーバーに居候をしています。APIの制限や厳格なレートリミット、雨後の筍のように湧き出るスパムの氾濫といった表面的な不便さ以上に、プラットフォームの根幹が変質したことに耐えられなかったからです。

しかし、今に至るまで、私はTwitterをやめられませんでした。

Misskeyの穏やかなTLを眺めながら、結局は泥沼のようなXへと舞い戻る生活をしています。

なぜか。それは、Xの資本主義に溺れたカスのレコメンドシステムが、金儲けという一点においてあまりにも優秀で、華々しく成功してしまっているからに他なりません。

私たちがXのアルゴリズムは壊れている、Evilだと嘆くとき、それはあくまでユーザー体験の視点に立っています。しかし、株主と経営者の視点、つまるところ、如何にユーザーをサービスに縛り付け、広告を見せ、データを吸い上げるかというKPIの視点に立てば、現在のXはかつてないほどの完成度を誇っています。

現に、Xのおすすめフィードを眺めていると、無限に不快なものが流れてきます。論理が破綻した暴論、特定の属性に対する差別的な言説、あまりに無知で傲慢な主張。そして何より、インプレッションを稼ぐためだけに生成されたゾンビアカウント群の文脈を無視した無意味な羅列。

リプ欄を開けば、元ツイとは何の関係もない謎のマルチバイト文字や、LLMが生成した当たり障りのない同意、あるいは露骨なNFSW画像が溢れかえっています。彼らは会話をするためにそこにいるのではありません。ただ小銭を稼ぐためだけに、ハエのように群がっているのです。

残念ながら、これらはバグではありません。すべて想定されたであろう仕様です。

我々人間は、穏やかで幸福な情報よりも、怒りや恐怖、軽蔑といった強い情動を伴う刺激に強く反応するように設計されています。こいつは間違っている、許せない、馬鹿な奴だ。そう感じた瞬間、私たちは反射的に指を止め、画面を凝視し、タップしてしまいます。

その滞在時間こそが、Xという企業が販売している唯一の商品です。このアルゴリズムは、私の卑しい本性を正確に見透かしています。

現に私は、流れてくる不快な投稿を無視できず、縮小鍵垢で引用RTを繰り返しています。こんな馬鹿なことを言っている奴がいると他人をコケにし、安全圏から石を投げ、自分が知的優位に立ったような錯覚に浸る。私は救いようのないカスであることに違いありません。

ですが、Xにとって私は最高に優良な養分でもあります。私がストレス抱き、軽蔑し、対立を深めれば深めるほど、プラットフォームの滞在時間は最大化され、広告在庫が消化され、イーロンの財布にはお金が入る。私たちが画面の前でイライラすればするほど、Xは儲かるのです。

ここにあるのは、人間の尊厳をハックして換金する錬金術でしかありません。対立を煽れば数字が伸びる。極端なことを言えば金になる。その構造が完成してしまった以上、X上から争いが消えることは永遠にありません。平和な世界は、ビジネスとして儲からないからです。

かつてTwitterが持っていた、清濁併せ呑む広場のような機能は失われました。今ここにあるのは、互いの正義を棍棒にして殴り合わせ、その流血を観客に見せて興行収入を得るコロッセオです。もっとも、戦っているのは剣闘士ではなく、承認欲求に飢えた一般人と、小銭稼ぎのbotですが。

MisskeyやMastodonといった分散型SNSは、確かに理想郷でした。そこには邪悪な金儲けに最適化されたレコメンドがなく、文脈を共有できる隣人がいました。

しかし、Xという劇薬に溺れた私にとって、その平和は時に退屈と同義でした。刺激がない。敵がいない。殴るべき馬鹿がいない。

悲しいことに、私の認知機能はすでにTwitterというよりはXの仕様に合わせて最適化されてしまっているのです。ストレスなしには、インターネットの生を実感できなくなっている。これは中毒症状以外の何物でもありません。

Twitterでしか繋がれない人脈、Twitterに置き去りにしてきた膨大な思い出。それらを大切に思うからこそ、私は今のXを憎みます。

ですが本質的な理由は、私が真人間であることよりも、アルゴリズムに踊らされる反応機械であることの快楽を選んでしまったという点に尽きます。

かつて、昭和の街角に貼られたポスターは、白い粉の恐怖と共に「人間やめますか」と問いかけました。しかし令和になった今、私たちは手のひらの上で鈍く光る黒いアイコンを見つめながら、その問いに無言で頷こうとしています。

理性も品性もかなぐり捨てて、汚泥のような情報を浴び続けること。怒りを燃料にして走り続けること。それがこのプラットフォームに最適化された、新しい人類の醜い姿なのかもしれません。

青い鳥は死にました。多くの人の順当な人間性も、もしかしたらその時に一緒に死んでしまったのでしょう。

文句を言いながらも指先は正直です。今日も元気に、地獄の窯の蓋を開けに行きましょう!