Misskey鯖缶後悔記
お久しぶりです。
先日ふとした想いたちから自動車学校に通いはじめた挙句、運転が下手すぎて技能教習の時間を5時間分増やされた私です。
今日は、そんな私が始めてしまった、ある小さな世界の物語について、言葉を尽くしてみようと思います。
これは、誰かの心を照らすような成功譚ではありません。
それでも、今の私にとっては、この経験を言語化し、対象化するというプロセスを経なければ、前に進むことができない気がしてやみません。
これは、私の手で築き、そして壊してしまった楽園への、私なりの弔辞です。
全ての始まり、小さな寂しさと淡い理想
今から遡ること、およそ3年。
まだ入学したばかりの高校生だった私は、「しゃふすきー」という、少し変わった名前のMisskeyインスタンスを広大なインターネットの片隅にぽつんと構築しました。
なぜ、数あるSNSの中から、わざわざ自前でサーバーを立てるなんていう面倒な選択をしたのか。
それは、TwitterやInstagramといった巨大なプラットフォームに渦巻く、常に誰かの視線を意識し、他人からの評価に一喜一憂するような空気感に、少しだけ息苦しさを覚えていたからです。
お金儲けのためのレコメンドアルゴリズムによって最適化され、差し出される情報ではなく、もっと属人的で、手触りのある、自分のためだけの場所が欲しかった。
最初は、誰にも見つからない日記帳のような、自分だけのおひとり様インスタンスとして、静かに運営していくつもりでした。
しかしながら、たった一人きりのLTLは、私が想像していた以上に静かでした。
投稿しても、ローカルの誰からも反応がない。
聞こえるのは、自分の思考が壁に当たって跳ね返ってくる、その反響音だけ。
その完璧なまでの静寂が、私の心の奥底に横たわる、名前のつかない寂しさの輪郭を、あまりにもありありと映し出す鏡のように感じられて、次第に怖くなっていきました。
あるいは、心のどこかに巣食っていた「誰かに見つけてほしい」「私の存在を肯定してほしい」という、承認欲求が、むくむくと鎌首をもたげたのかもしれません。
「誰かが、この場所に居てくれたら」。
「私と同じように、既存のSNSの喧騒に少しだけ疲れた人が、その羽を休められるような、ささやかな止まり木になれたら」。
そんな淡い期待と、今にして思えば少しばかり傲慢な理想を抱いて、私はインスタンスの重い扉を開け、誰でも自由に登録できるように設定を変更しました。
この、ほんの数クリックの、しかし後戻りのできない操作が、私のその後の3年間を決定づける、全ての始まりでした。
開設して間もなく、本当にありがたいことに、数十人の方々が私の小さなサーバーにアカウントを作ってくださいました。
中には、LTLに定住し、日々の出来事をこまめに投稿してくれる方も現れました。
「おはよう」という、一日の始まりを告げる挨拶。
今日食べたランチの、少しピントのずれた写真。
好きな音楽や映画の話。
深夜の、誰に聞かせるともない、とりとめのない悩み事。
自分の知らない誰かが、自分の作った場所で笑ったり、怒ったり、悩みを打ち明けたりしている。
その事実の一つひとつが、まるで乾いた土に染み込む水のように、私の心をじんわりと温め、満たしていきました。
LTLを眺めていると、まるで自分が神様にでもなったような、不思議な全能感がありました。
私が維持しているこの場所が、誰かの日常の一部になっている。
私の存在が、誰かのささやかな居場所になっているのかもしれない。
その感覚は、現実の生活では得難い、抗いがたいほどに甘美なものでした。
人の気配がそこにあるというだけで、私の慢性的な寂しさは、確かに少しだけ、その輪郭をぼやかしてくれるような気がしていたのです。
楽しかった
しかし、現実は残酷なもので、あの夢のように穏やかで、希望に満ちていた日々は、残念ながら永遠ではありませんでした。
人が増え、タイムラインの流量が増え、コミュニティがゆっくりと拡大していくにつれて、水面下に潜んでいた様々な問題が、一つ、また一つと、ぬるりとした感触で顕在化してきたのです。
もちろん、技術的な問題は常にありました。
GCPのプロジェクトが突然凍結されたり、深夜にPostgreSQLクラスタ間のデータ不整合を見つけてしまい、半泣きで復旧作業にあたったこともあります。
急激なユーザー増で特定ノードへの負荷が高くなり、慌ててスケールしたことも一度や二度ではありません。
でも、そういった技術的なトラブルは、ある意味で解決がシンプルです。
エラーログと向き合い、ドキュメントを漁り、試行錯誤を繰り返せば、大体はなんとかなってしまう。
むしろ、困難な問題を解決したときには、明確な達成感さえありました。
というか、私ですらできるようなそんなことができないようなら、そもそも自前でインスタンスなんて建てるべきではない、とさえ思っています。
本当に私の心を蝕んでいったのは、そういった技術的・金銭的に解決できる問題ではありませんでした。
もっとアナログで、複雑で、正解がなく、そして終わりもない、人間という存在そのものが孕む問題です。
インスタンスの開設から1年半か、あるいは2年が経った頃でしょうか。
それまで保たれていた牧歌的な雰囲気に、少しずつ、しかし確実に、不協和音が混じり始めました。
最初は些細な違和感でした。
あるのユーザーが、LTLを自分の日記帳かのように使い、延々と自分語りを続ける。
会話の流れを無視して、唐突に自分の話にすり替える。
そういった、コミュニケーションの僅かなズレが、日に日に目立つようになってきたのです。
他者への配慮が決定的に欠けている、人格に難のあるユーザーの存在が、タイムライン上で無視できない大きさになってくると、負の連鎖が静かに、しかし着実に始まります。
もともといた良識的なユーザーたち、あの穏やかな空気を作ってくれていた人々は、その居心地の悪さに耐えかねたのか、あるいは単純に飽きたのか、一人、また一人と、何も言わずに姿を消していきました。
お気に入りのユーザーのアイコンが、ある日を境にデフォルトの画像に戻っているのを見つけるたび、胸の奥が冷たくなるのを感じました。
彼らが去った分だけLTLは静かになり、その空白を埋めるように、さらに似たような性質の、声の大きい人たちが居座るようになる。
結果として、コミュニティはゆっくりと、でも確実に、私が望んでいたものとは全く違う、歪で、息苦しい姿へと変貌してしまいました。
私の運営しているインスタンスは「しゃふすきー」という名前です。
社会不適合者の「しゃふ」と、Misskeyの「すきー」を組み合わせた、安直な名前。
余っていたドメイン(当時はgenkaishahu.com)で、本当に深く考えずに名付けてしまいました。
その自虐的な名前の響きからか、開設当初から、メンタルヘルスに何かしらの問題を抱えている方が多く登録される傾向がありました。
私自身もその一人ですから、同じような境遇の人たちが、社会の喧騒から離れて安らげる場所になれば、という気持ちがなかったわけではありません。
これは今でこそ思えるのですが、あまりにもナイーブで、独りよがりで、そして何よりも傲慢な考えでした。
同じ傷を持つ者同士が、必ずしも寄り添い合えるとは限らない。
むしろ、互いの傷口を舐め合い、膿を啜りあうような、共依存的な関係に陥りやすい。
メンタルに問題を抱える人たち「だけ」が集まる場所を、健全なコミュニティとして成り立たせることは、もしかしたら元より不可能に近い、あまりにも過酷な挑戦だったのかもしれないのです。
地獄とか
現状を言葉を選ばずに言えば、割と地獄のようなものです。
「自分はこんなに可哀想」「誰も分かってくれない」「世界が私をいじめる」と、常に被害者としての立場から世界を語る人々。
しかし、その言動の端々からは、他者への攻撃性や、「自分だけが注目されるべきだ」「私を慰め、肯定しなさい」という強烈な支配欲が、全く隠しきれていない。
そういう人たちが、無数に点在しています。
「誰も私を助けてくれない」という嘆きは、いつしか「だからあなたは私を助けるべきだ」という、他者への一方的な要求に変わります。
「辛い」という一言は、他者の時間や感情を際限なく奪うための、万能の呪文になります。
そして、その要求が満たされないと分かると、今度はその相手を「冷たい人だ」と断じ、新たな攻撃の対象にするのです。
そんな言葉で埋め尽くされた投稿を眺めていると、本当に、心がじりじりと焼かれていくような、耐え難い感覚に襲われるのです。
管理者として、「こんなつもりではなかった」なんて言う資格は、私には微塵もありません。
サーバーの扉を開け、誰でもどうぞと招き入れたのは、他の誰でもない私自身なのですから。
全ての責任は、この私にあります。
でも、その責任論とは全く別の話として、今のこの状況は、一人の人間として、本当に耐え難く、辛い。
めっちゃしんどい。
まるで、自分の善意や寂しさが産み出してしまった化け物たちに、自分の手で築いた城の中で、じわじわと四方から追い詰められ、精神的な逃げ場を失っていくような気分です。
ここからは、私自身が精神疾患の当事者だからこそ言える、とても残酷で、差別的な内容です。
もし、あなたの心をざわつかせてしまったら、本当に申し訳ない。
メンタルヘルスに問題を抱えている人間は、悲しいかな、大概において、コミュニケーションの面で碌でもない側面を持っています。
もちろん、私自身を棚に上げるつもりは全くありません。
むしろ、私こそがその筆頭なのかもしれない。
だから、どんなに崇高な理想を掲げたとしても、他人に安易に手を差し伸べようとするべきではない。
それが、この3年間で私が心と身体に深く刻み込んだ、最も痛みを伴う教訓でした。
私のような層は、多くの場合、社会性が決定的に欠けています。
だからこそ、大衆に向けられた「誰でもどうぞ」という無償の善意を、「自分だけを見てくれている」「この人は私を理解してくれるはずだ」という、特別な好意だと勘違いしてしまう。
そして、際限なく甘え、依存し、もっと注目してくれと要求し、思い上がっていく。
彼らの言動の中に、私が必死で蓋をしている自分自身の醜い部分、認めたくない側面を見てしまうからこそ、これほどまでに苦しいのかもしれません。
彼女ら(そして私たち)は、理由があって社会という大きな輪の中から弾き出され、他人からまともに相手にされていない人たちなのです。
そう考えると、そのような歪んだコミュニケーションしか取れないのは、ある意味で当然の帰結とも言えます。
もっとも、私の場合は「誰かを救いたい」なんていう崇高な動機があったわけではありません。
ただ、自分のどうしようもない寂しさと、肥大した承認欲求を満たしたかっただけ。
その結果として、同じような空虚を抱えた人たちを、磁石のように引き寄せてしまった。
ただ、それだけのことだったのです。
社会に適合できない者たちを集めて、小さな社会を作ろうとしたら、そこではより純度が高く、煮詰められた社会不適合が生まれるだけ。
そんな単純な道理に、私は気づくのがあまりにも遅すぎました。
静かな隠居
私は、もうそろそろ限界です。
朝、目が覚めてPWAからの通知を見た瞬間に、ずしりとした疲労感が全身を覆う。
TLを開くのが怖い。
誰かの投稿に反応するのが億劫。
あの場所は、もはや私にとって、安らぎの場所ではなく、心をすり減らすだけの苦役になってしまいました。
サーバーを完全に閉鎖することも、考えなかったわけではありません。
全てを投げ出して、この忌まわしい人間関係から逃げ出してしまえたら、どれだけ楽だろうかと、この数ヶ月、夜ごと何度も考えました。
でも、こんな場所になってしまっても、変わらずに使い続けてくれている数少ない、本当に良識的なユーザーさんたちがいます。
私が落ち込んでいるときに、そっと優しい言葉をかけてくれた人。
「この場所が好きです」と、言ってくれた人。
そして、サーバーの維持のために、毎月貴重なお金を寄付という形で支援し続けてくれている方々もいます。
私の個人的な「もう無理」という感情だけで、その人たちのささやかな居場所や、これまでの思い出、そして寄せてくれた善意を、全て無碍に消し去ってしまうのは、あまりにも無責任で、身勝手だと思いました。
だから、私は少しだけ、この場所との関わり方を変えることにします。
もちろん、管理者として必要な最低限のモデレーションや、サーバーのメンテナンスは、責任をもって続けるつもりです。
でも、TLを常に監視して心をすり減らすような関わり方は、もうやめます。
当面は全く関係のない、インターネットの片隅でひっそりと、ただのユーザーとして隠居生活を送るつもりです。
誰のことも気にせず、ただ好きなことを呟ける、あの最初の頃のような自由を取り戻したいのです。
結局のところ、私には、一つのコミュニティを健全に管理し、そこに集う人々の人生の断片を預かり、その責任を最後まで背負い続けられるほどの器がなかった。
ただ、それだけのことなのでしょう。もっと規模が大きく、個々人の投稿が目に止まらないほどのTLを構築できていたらまた話は違ってきたのかもしれません。
美しい夢だったと思います。
そして、その夢は、私の手には余るほど、重たく、そしてあまりにも壊れやすいものだったのです。
自分の未熟さと無力さ、そして人間関係のどうしようもなさを、これでもかというほど思い知らされた、長くて短い3年間でした。
それでは。