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色褪せた特別と残されたもの

色褪せた特別と残されたもの

投稿した日
2025/04/30
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色褪せた特別と残されたもの

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考えを巡らせ、言葉を探していると、いつも同じ場所、同じ感覚に行き着く気がします。それは、自分という存在と、周りの世界との間に横たわる、見えないけれど厚い壁についての、終わりのない問いかけです。

もし、人が自らの意思で人との距離を選び取り、静寂の中に安らぎを見出しているのなら、それは「孤高」として、一種の強さや確立されたスタイルとして映るのかもしれません。
凛とした、侵しがたい雰囲気を纏うような。けれど、わたしが今感じているものは、残念ながらそれとは違うのです。
積極的に選んだわけでも、望んだわけでもなく、気づけばただ「孤独」という広い空間に、ぽつんと一人で取り残されてしまっていた。
そんな表現の方が、今の心境に近いように思います。置き去りにされたような、そんな感覚でしょうか。

思い返せば、幼かった頃の私は、自分が周りの子供たちと少し違っているという事実に、不思議と心地よさを感じていた記憶があります。
みんなが熱中している遊びに、いまいち乗り切れなかったり、一人でコンピュータの世界に浸る時間が好きだったり。
それは寂しさというよりは、自分だけの、誰にも侵されない聖域を持っているような、密やかで特別な感覚でした。周りと足並みが揃わなくても、それがわたしなのだと、どこかで受け入れていた。あの頃は、その違いが将来、自分を苦しめるものになるとは、想像もしていませんでした。

でも、いつからだったでしょうか。小学校高学年、あるいは思春期に差し掛かる頃だったかもしれません。
その違いが持つ意味合いは、ゆっくりと、しかし容赦なく変わっていきました。
周りの子たちがグループを作り、共通の話題で盛り上がり、互いの些細な変化に気づき合っている。その輪郭が鮮明になればなるほど、自分だけがその外側にいるような感覚が強くなっていったのです。
かつては自分の内なる世界を守る壁だったかもしれない違いは、いつの間にか、他者との間に高くそびえ立ち、容易には乗り越えられない疎外感という名の壁に変わっていました。
楽しそうな会話の輪に入ろうとしても、言葉が空回りしたり、場の空気を読んで適切な反応ができなかったり。そんな経験が積み重なるうちに、人と関わること自体に、漠然としたためらいを覚えるようになっていきました。

そして、そのどうしようもない隔たりや、胸を締め付けるような寂しさをはっきりと自覚した時には、もうずいぶんと時間が流れていて、まるで流れの速い川の中州に取り残されたように、引き返すことも進むことも難しい場所に立っているような気がしました。
あの頃、たしかに感じていたはずの、自分だけの特別な感覚は、長い年月の中で磨耗し、すっかり色褪せてしまったようです。その代わりに心の中に残っていたのは、弱い自分だけでした。

結局のところ、自分は社会の中でうまくやっていくことも、人並みに努力を続けることもできない存在なのではないか。
そんな無力感や自己否定の考えに囚われてしまう時間が増えました。

出来損ないという辛辣な言葉が、まるで自分の本質を言い当てているかのように、不意に、そして頻繁に頭をよぎるのです。それは、誰かに言われたわけではなく、自分自身が自分に下している、最も厳しい評価なのかもしれません。

選んだわけではないこの静かな孤独の中で、かつては自分のアイデンティティの一部だった違いが、今はただ息苦しさの原因となっています。
一人きりで過ごす時間が長くなるほど、その感覚はより深く、より濃く、心を覆っていくようです。
窓の外からは、街の喧騒や、楽しそうな誰かの声が微かに聞こえてくることもありますが、それはまるで、自分とは違う次元で起こっている出来事のように、遠く感じられます。

この部屋の静寂だけが、今のわたしにとっての現実なのかもしれません。

どうして、かつては平気だったはずの「違い」が、こんなにも重く、苦しいものになってしまったのか。その答えを探そうとしても、思考は同じ場所をぐるぐると回り続けるばかりで、出口は見つかりませんでした。