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人生トラブルシューティング

人生トラブルシューティング

投稿した日
2025/11/20
更新した日
2025/11/20
読了まで
4.21分で読み終われます (2,528文字)

# はじめに 🔗

どうも、わたしです。

タイムラインを眺めていると、社会や他人の言動に対して、やたらと攻撃的な言葉を投げつけている人々を観測することがあります。
彼ら、あるいは彼女らの言葉は、一見するともっともらしい正義や理論で武装されているように見えます。
しかし、その言葉の端々からは、どこか実体がなく、借り物の剣を振り回しているだけのような、薄っぺらな空虚さを感じずにはいられません。
地に足がついていないというか、生活の手触りが欠落しているのです。

なぜ、これほどまでに言葉が軽いのか。
その違和感の正体を探ろうと、その批評家さん(笑)たちの背景に目を凝らしてみると、ある共通項が浮かび上がってくることが少なくありません。
それは、彼らの多くが、他人に依存し自身が抱えるべきコストを他者に丸投げしている、という事実です。

少し嫌味な視点かもしれませんが、この自立なき万能感とか言う奇妙なものについて、自戒を込めて少し書いてみようと思います。
要するにお気持ち記事です。

# 生きるコスト 🔗

最初に断っておきますが、わたし自身、決して出来た人間ではありません。

以前にも書いたかは分かりませんが、私は母子家庭で育ち、小銭を稼ぎ学費や生活費の一部を自ら捻出する必要に迫られてきました。
生きることは、綺麗事ではなくコストがかかる。
泥臭い金銭のやり取りと、地味で孤独な労働の積み重ねなしには、まともな生活水準にはありつけないということを、嫌というほど骨身に刻んできました。
今でこそまともな暮らしを享受できていますが、諸々の経験は、他人への寛容さを奪い性格を少なからず歪ませてしまったという自覚があります。
だからこそ、「(任意のあらゆるもの)に対する苦労も知らない人間が偉そうな口を利くな」という、ある種の同族嫌悪に近い苛立ちを抱いてしまうのは、私の偏狭さゆえかもしれません。

しかし、私の個人的な歪みを差し引いたとしても、客観的な事実として誰かに依存したいる人間の発言には、決定的な説得力が欠けているように思えるのです。

ただ、ここで誤解しないでいただきたいのは、私が言っているのは実家暮らしか、一人暮らしかといった物理的な場所の話ではない、ということです。
そんなものは些末な問題です。
実家にいようが、家系を折半し、経済的に自立した関係にあるなら、それは立派な共生と言えるでしょう。
私が違和感を覚えるのは、それらを一切負担せず、他人の財布にぶら下がって生きている寄生の状態にある人たちです。

自分の食い扶持すら自分で賄っていない人間に、他人や社会のアレコレを批評する資格があるのでしょうか。

# 過去の栄光に縋るな 🔗

生活の面倒を他人に丸投げし、経済的にも精神的にも誰かに寄生しているにも関わらず、インターネット上では一丁前の批評家を気取っている。
もはや現代の風刺アートのようにさえ見えます。

その矛盾を埋め合わせるためなのか、彼らは決まって過去の栄光を持ち出します。
特に痛々しいのが、学生時代の経験や、数年前の取るに足らない武勇伝を、さも偉業であるかのように語る姿です。
人間、現在進行形で成長し、何かに挑戦していれば、過去の単純労働の経験などただの通過点に過ぎず、わざわざ持ち出してマウントを取る必要もないはずです。
そこにしがみつくしかないということは、彼らの中の時計がそこで止まってしまっていることの証明に他なりません。

彼らがインターネット上で攻撃的になり、ネチネチと他者を批判することでマウントを取りたがるのは、おそらく自分の足で立っていないという根源的な不安を打ち消すために、安易な万能感を求めているからではないでしょうか。

現実世界では無力な存在であるため、インターネットの中だけでも有識者(笑)や理知的な人間を演じようとする。
しかし、その言葉には実体験に伴う重みがなく、技術力も学習の跡も見られない。
結果として、中身のないプライドだけが肥大化していく。
その姿は、見ていて本当に苦しいものがあります。

# 思想の自由 🔗

もちろん、どんな境遇であれ、思想を持つのは個人の自由です。
脳内でどんな高尚な理想を掲げようが、どんなに過激な持論を展開しようが、それは誰にも侵されない権利でしょう。

けれど、その思想を他人に押し付けたり、自分の物差しで他人を断罪しようとしたりするのは、全く別の話です。
特に、自分の生活コストすら他人に負担させているヒモのような人間が、社会のあり方や他人の生き方に口出しをする権利など、どこにあるのでしょうか。
それはタダで住まわせてもらっている居候が、家主の家具の配置に文句をつけているのと同じくらい、滑稽で図々しい振る舞いです。

本来自分で捻出すべきコストすら他人に任せきりのゲストユーザー様(笑)が、管理者気取りでルールを説く。
多くの人にとって、そんな言葉に耳を傾ける気にはなれるはずもありません。

# 鏡を見るべきなのは 🔗

ここまで読んで、「なんだ、自分を正当化したいだけじゃないか」と鼻で笑った勘のいい方。
おめでとうございます。大正解です。

そう、これは紛れもなく私の自己正当化でもあります。
「自分はあいつらとは違う」「私はコストを払っているからマシだ」という理屈をこねくり回して、自分の精神的優位性を保とうとする、実に醜いポジショントークに過ぎません。

けれど、あえて言わせてもらいます。
無自覚に他人に寄生して「私はすごいんだ‼️」と勘違いしたまま歳を重ねるのと、自分の醜さや立場の弱さを自覚した上で、情けなくも取り繕いながら生きるのとでは、やはり後者の方が幾分かマシな地獄なのではないか、と。
多分傍から見たら同じ穴の狢なんでしょうけどね。

ともあれ、私は自分の歪みを自覚していますが、少なくとも自分の食い扶持は自分で稼ぎ、自分の足で立っています。
もし、他人の財布で飯を食いながら、安全圏から石を投げているだけの人間がいるなら、まずはその手を止めて、求人サイトでも眺めるべきではないでしょうか。

批評や自己実現は、自分の人生の責任を負えるようになってから口にするべき嗜みだと思うのです。
嫌味な言い方かもしれませんが、自分の足で立てない人間が、社会や他人を批評する資格なんてない。
私はそう思わずにはいられません。

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