いい人になりたかった
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幼い頃から、私はよく優しい子だと言われて育ちました。
今思うと、それは私に際立った才能や愛嬌といった、取り柄が圧倒的に無かったからに過ぎないように思えます。他に褒めるべき点が見当たらない子供を、なんとか他の子供たちと対等な土俵に立たせるために、大人たちが苦し紛れに捻り出した建前としての道具。それが優しさという言葉に内包されていたように思います。
実際のところ、私は到底優しいと呼ばれるに相応しい人間性を持ち合わせていませんでした。私が振る舞っていたのは、他者を思いやる心などではなく、単に自分の意見を持たず、波風を立てることを恐れ、曖昧に笑ってやり過ごす主体性のなさでした。自己を主張するだけの芯や度胸といったものが欠落していただけなのです。
自分が空洞であることを、紛い物の優しさというラベルで必死に隠蔽していました。そして残酷なことに、その本質は今も、何ひとつ変わっていません。
私にとっていい人であることは、道徳的な目標ではなく、切実な生存戦略でした。
私のような人間にとって、期待で勝手に型へ流し込まれることは、最も楽で、最も安全な生き方です。拒絶されず、攻撃されず、居場所を確保するための擬態。
誰かの意見に頷き、摩擦を避け、無害な存在として振る舞う。そうしていれば、世界は私を傷つけない。そう信じていました。
しかし、技術や知識を得て、世界を見る解像度が上がるにつれ、この生存戦略は音を立てて崩れ去りました。
エンジニアリングの世界に足を踏み入れ、論理や整合性を欲するようになると、かつては見過ごせていた他人の粗が、許容しがたい異様なモノとして目に映るようになってしまいました。
手のひらに世界中の知財へアクセスできるデバイスを持っていながらも、検索すら惜しみ、「誰か教えて🥺」と幼児のように口を開けて待つ人々。
救われるべき弱者という自己憐憫が、奉仕されるべき特権階級という傲慢さへと腐敗していく過程。
その無垢な怠惰さや、被害者という立場を利用した加害性が、私には耐え難い悪臭のように感じられるのです。
善人の皮を被ったままでは、それらを指摘できません。しかし、飲み込もうとすると、今度は自分が壊れてしまいそうになる。言いたいことを飲み込み、表面だけ取り繕うコストが、得られる平穏のメリットを上回ってしまったのです。だってインターネットでくらい自由に好き放題言いたいじゃないですか。
私は長い間、自分の攻撃性を正しさへの執着だと言い訳してきました。
「間違っているから指摘するのだ」「知的生命体としての誠実さだ」と。
本当はどこかで気づいていたのかもしれません。ある時ふと、その欺瞞に気づいてしまいました。
私が重ねていたのは、建設的な批判などではなく、対象の動機を疑い、安全圏から石を投げて嘲笑することで優越感に浸る、ただの卑小な冷笑でしかなかったのです。欺瞞を直視せざるを得ない瞬間が訪れてしまいました。
そこにこうすれば良くなるといった代替案はあったでしょうか。相手の動機を尊重する姿勢はあったでしょうか。
勿論そんなものは微塵もありません。私がしていたのは、相手が必死になっている姿を嘲笑うことで、「自分はそっち側の人間ではない」と確認するための、卑小なマウンティングでした。
私は正しいことをしたかったのではなく、安価でコンスタントに消費できる知的快楽を貪りたかっただけなのかもしれません。
何も作らず、何も提案せず、リスクも取らず、ただ「レベルが低い」「お前はだめだ」と吐き捨てるだけで得られる、安っぽくて強烈な全能感に依存していた節は否めません。
そうでもしないと、空っぽな自分が保てなかった。他人を見下すことでしか、自分の立ち位置を確認できない。その事実に気づいてしまった時の情けなさと、底知れない不安は、言葉にできません。
自分が正当性のある批判をしていたのではなく、ただの冷笑をしていたことを自覚してしまった今、私はどうすればいいのでしょうか。「これからは心を入れ替えて、建設的な批判だけをします」とか宣言できれば、いいんですけどね。現実はそう簡単にはいきません。
おそらく私はこれからも変わらず、画面の向こうの誰かを冷笑し続けるのでしょう。実際、彼ら彼女らを見れば不快になり、それを言語化して断罪せずにはいられない気がします。
「いい人になりたかった」
それは偽らざる本音です。けれど、それ以上に私は、自分の浅はかな賢さを証明したいし、愚かなものを愚かだと断じて安心したい。その醜い欲望を、どうしても手放すことができないみたいです。
きっと明日も私は、何かを批判したつもりになって冷笑し、誰かを見下して一瞬の快楽を得て、その後に訪れる虚無感と自己嫌悪に震えながら生きていくのだと思います。
やめようと思ってやめられるなら、とっくの昔にやめていますから。


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