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「言語化」

「言語化」

投稿した日
2025/05/11
読了まで
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「言語化」

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深夜(というか早朝かも)、いつものようにSNSを眺めていた際、あるツイートが目に留まりました。
そのツイートが具体的にどのような内容であったか、今となっては判然としません。
ただその短い言葉の連なりが、言語化という言葉、あるいはその流行に対するある種の違和感に、静かに触れたように感じました。

近頃、「言語化」という言葉が頻繁に口にされるようになったと感じます。
自己の感情や思考を言語化することの重要性や脆弱性が、様々な場面で語られている。
しかし、わたしはその流行の様相に、どこか腑に落ちないものを感じています。

多くの人が求める言語化とは、果たして内面の複雑なありようを固有の言葉で丹念に掬い取ろうとする営為なのでしょうか。
わたしには、むしろ、既存の言葉や概念を借りてきて、自らの状態に手軽に名前を与えることで、一種の納得感や安心感を得ようとする傾向があるように思えてなりません。
SNSなどで見られる特定の属性を示すタグなども、その一端を示しているのかもしれません。
それが他者との繋がりや自己規定の一助となる側面は理解しつつも、それが真の自己理解に繋がるのかという点については、やはり疑問が残るのです。

本来、言葉によって内面を捉えようとする作業は、もっと困難で、時に痛みを伴うものではないでしょうか。
混沌とした感情や未分化な思考に輪郭を与えるというのは、表層的なラベリングとは異なり、自己の深部と向き合うことを要求されるはずです。

そういう点においては、考察ブームも言語化の消費のされ方と通底する部分があるように感じます。
ある事象に対して様々な解釈を提示し合うことは知的な営みですが、そこで交わされる言葉が、しばしば借り物の論理や、承認を目的とした表出に留まっているように見えることがあるのです。
そこでは、対象への深い洞察よりも、共感を呼ぶ手軽な刺激や、分かったつもりになれる即時的な快感が優先されているのではないか。
そんな疑念が頭をもたげます。

言葉に対する感度や知識の欠如も、気にかかる点です。
言葉は思考の道具であり、世界の解像度を左右するものです。
その扱いが安易であるならば、私たちの思考や認識もまた、浅薄なものに留まってしまうのではないでしょうか。

わたし自身、言葉によって救われた経験もあれば、言葉の不確かさに翻弄された経験もしてきました。
自らの内面と向き合う過程で、言葉にならない感情に苛まれたり、ようやく探し当てた言葉が陳腐に感じられたりすることも少なくありません。
だからこそ、「言語化」という行為が、あたかも容易な技術であるかのように語られることに強い抵抗を感じるのです。
先日、まさにわたしのこの感覚を鋭く射抜くような言葉に触れました。

自分が言語化してる側だから言うけど……何でもかんでも「言語化は素晴らしいこと」みたいな昨今の風潮は、全ッ然好きじゃないです。言葉に対する過信って本当に傲慢だと思う。
言葉は呪いなんですよ。
言葉という枠組みに当てはめた瞬間、生きた感覚は殺され、磔にされて、その先の可能性を奪われる。

https://x.com/ShiroKoga_D/status/1920934945612071220🔗

この投稿は、言語化の流行り?のようなものへの違和感の核心部分に触れているように思えます。
「言葉は呪い」であり、枠組みに当てはめた瞬間に「生きた感覚は殺され、磔にされて、その先の可能性を奪われる」という感覚。
それは、言葉の持つ力の一側面を、あまりにも的確に捉えているのではないでしょうか。
言葉は確かに、思考を整理し、他者との意思疎通を助ける有効な道具となり得ます。
しかし、それはあくまで言葉の一面に過ぎず、その限界や、時に内包する暴力性、あるいはこの方の言う「呪い」としての側面から目を背けるべきではないのでしょう。

「言語化」とは何かを自問しています。
それは、単なる説明や共感の獲得ではなく、もっと個人的で、内省的なプロセスなのではないかと。
自己の内なる複雑さと向き合い、言葉によってその輪郭を少しずつ明らかにしていく、終わりなき探求。
それは、誰かに見せるためでも、評価されるためでもなく、ただ自己のために行われるべき、静かな営みなのではないでしょうか。
そしてその過程では、言葉の持つ光と影の両面を、常に意識する必要があるのだと思います。

流行としての言語化は、もしかしたら表層的な熱狂に過ぎないのかもしれません。
しかし、言葉を通して自己と世界を理解しようとする人間の根源的な欲求は、変わることなく存在し続けるでしょう。
安易なラベリングや借り物の言葉に安住するのではなく、もっと言葉そのものと格闘し、自分自身の言葉で思考することの重要性を、わたしは改めて感じています。

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